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ホンダ HONDA - エンブレム・ロゴの由来と意味と歴史

honda honda

フロントバンパー・ボンネット付近

ホンダエンブレム
ホンダエンブレム
ホンダエンブレム
ホンダエンブレム
ホンダエンブレム

1963~ T360

1963~ S500

1967~ N360

1968~ N600

1970~ Z

ホンダエンブレム
ホンダエンブレム
ホンダエンブレム
ホンダエンブレム
ホンダエンブレム

1971~ Life

1976~ Accord

1981~

1992~

2001~


フロントフェンダー付近

ホンダフェンダーエンブレム
ホンダフェンダーエンブレム
ホンダフェンダーエンブレム
ホンダフェンダーエンブレム
ホンダフェンダーエンブレム

S800用

N360用

LN360用

N400用

N600用

ホンダフェンダーエンブレム
ホンダフェンダーエンブレム
ホンダフェンダーエンブレム


Honda1300用

NIII360用

Life,Civic等用




Hondamatic車専用

ホンダマチックエンブレム
ホンダマチックエンブレム
ホンダマチックエンブレム


N360用

LN360用

N600用




【エンブレム・ロゴの由来と歴史】

自動車用のホンダのエンブレム・ロゴはHONDAの頭文字である「H」をデザイン化したものである。一方でオートバイ・スクーター用は翼の羽根をイメージしたものを専用のエンブレムとして採用している。これはそれぞれの開発分野の独自性を示す意味を持っている。
現在では車種毎に統一されたデザインのHマークが採用されているが、1980年より前は車種毎に細かなデザイン変更が施されていた。
1963年、最初の量産型四輪のT360とS500の量産が開始されると同時に初代のエンブレム・ロゴが登場。T360ではボンネット全体を覆うような大きなHマークが、S500では小型でシンプルなHマークがグリルの中央に採用された。輸出用のN600では「600」がHの下側に追加されている。
1966年以降、S800の登場を皮切りに車両側面のフロントフェンダーに車両名が刻まれた専用のエンブレム・ロゴが装着されるようになる。Hondamatic (自社製AT ホンダマチック) を搭載した車両にも専用のものが採用されている。車両側面に車名を刻むスタイルは1970年に発売された改良型のNIII360まで続いた。
1969年に発売されたホンダ1300以降、横長だったHマークは細長い形に変更される。装着される場所は統一されておらず、ホンダZやアコードではボンネットマスコットのように装着、シビックやライフ、ホンダ1300などはグリル中央に装着された。
1981年、二代目 アコード/ビガーから現在のデザインに近いHマークが採用されるようになる。現在のデザインと比べると角張って見えるが、この輪郭は三味線の胴の形に由来している。三味線が選ばれた理由としては、創業者の本田宗一郎が三味線の音色に感銘を受けたためである。
1992年、タイプRと専用の赤エンブレムがNSXに設定された。
2001年以降はHマークの四角が丸くなった現在のデザインが採用されていった。


【会社とブランドの歴史】

1946年、創業者の本田宗一郎が旧日本帝国陸軍の発電用エンジンと自転車を組み合わせた製品を開発。実際に売り出したところ注文が殺到し、ホンダ製エンジンの製作の足掛かりとなった。2年後の1948年には本田技研工業株式会社は創立。1950年代にスーパーカブを代表とする二輪製品や耕うん機エンジンなどの展開が始まり、1963年から四輪製品の量産が開始される。1972年には当時最も厳しいとされたアメリカの排出ガス規制マスキー法を世界で初めてクリアするという快挙を成し遂げた。
2000年に人型ロボットのASIMOを発表、2015年にはホンダジェット(HondaJet)の納入を開始するなど、幅広い分野での製品展開を続けている。
本田宗一郎と共にホンダを世界的な企業に育て上げた藤沢武夫「社長は技術者出身であるべき」との言葉の通り、歴代の社長はすべて技術者出身である。
また、ホンダのアフターパーツメーカー「無限」は本田宗一郎の長男である本田博俊により設立された。



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