※会社名・ブランド名をタップorクリックすると車両画像が表示されます。
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アルピーヌ
ALPINE
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1958~
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1962~
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1971~
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1991~
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2017~
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2017~
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【エンブレム・ロゴの由来】
アルピーヌのエンブレム・ロゴはALPINEの頭文字である「A」と左方向の矢印で構成されている。
【エンブレム・ロゴと会社の歴史】
1955年、アルピーヌはルノーディーラーの経営者兼レーシングドライバーであったフランス人のジャン・レデレにより、ノルマンディーのディエップに設立された。設立前のレデレはルノー4CVを改造した車両を駆り、ミッレミリアやクープ・デ・ザルプを含む多くの主要なレースイベントでクラス優勝を獲得するほどの実力者であった。その優勝がきっかけとなりレデレは1954年にアルパインの企業ロゴをデザインし、会社を設立することになるが、暫くの間は車両にこのロゴが採用されることはなかった。
1956年、アルピーヌ初の量産モデルであるA106が製造開始されるが、この車両のエンブレム・ロゴには赤い盾の中にルノーダイヤモンドとフランスの国土が描かれたデザインが採用されている。
1958年、アルピーヌのエンブレム・ロゴが初めて採用されたのはA108となった。そのデザインは「A」と左方向の矢印を組み合わせたシルバーメッキのものであり、フロントフェンダーの側面に飾られた。
1962年、A108の後継車となるA110では、ステアリングハンドルの中央に白と青の背景で構成された丸いエンブレム・ロゴが採用されている。また、1984年以降のGTA (日本名:V6ターボ) では、それがフロントバンパーの中央に飾られるようになる。
1971年から製造開始されたA310のスタリングハンドルには黒い背景のエンブレム・ロゴが装着されたが、黒い背景のものはこれが最初で最後となる。
1991年、フランス国旗を模したトリコロール柄が追加された新たなデザインのエンブレム・ロゴが誕生し、A610のフロントバンパーに装着された。その後、1995年にA610の量産が終了するとブランドは一旦途絶え、アルピーヌは暫くの間、ルノー車の製造に注力することとなる。
2012年になるとルノーのCEOであるカルロスゴーンがアルピーヌの復活を発表、2017年にはブランドとA110が復活を遂げ、新デザインのエンブレム・ロゴがフェンダーとステアリングハンドルに飾られた。
【車名の由来】
A106の「106」はベース車である4CVの型式R1062に由来する。
A108はR1090 ドーフィンをベースとしたため、命名ルールからすると「109」となるはずであったが、なぜか「108」となっている。
A110の「110」はベース車であるR8の型式R1110に由来する。
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ヴェンチュリー
VENTURI
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【エンブレム・ロゴの由来】
ヴェンチュリーのエンブレム・ロゴには白隼が狩猟用のグローブに乗っている様子が描かれている。V字に羽を広げた白隼はパワー、スピードの象徴であり、グローブはその力を人間がコントロールできるということを表現している。配色の青、白、赤はフランス国旗を彷彿とさせる。
【エンブレム・ロゴと会社の歴史】
1984年、フランスの自動車会社 ユーリエで働いていたエンジニアのクロード・ポワローとジェラール・ゴッドフロイによってMVS (Manufacture de Voitures de Sport = スポーツカー製造会社 の意味)が設立されてからヴェンチュリーの歴史は始まった。1984年のパリモーターショーでは、最初のプロトタイプモデル「Ventury」が発表された。このモデル名のスペルは「Venturi」ではなく、最後の文字が「y」となっていた。パリモーターショーは、後にセールスマネージャーに就任する実業家兼フェラーリ愛好家であるエルベ・ブーランと出会うきっかけにもなり、1986年に「Venturi」の名で量産モデルが発表されたのもエルベ・ブーランが、スペルの最後を「i」に変えるようにと意見したためである。
1985年9月、社名「MVS」が描かれた初代エンブレム・ロゴはジェラール・ゴッドフロイにより生み出された。背景には会社・ブランドの発祥の地であるペイ・ド・ラ・ロワール地方を表すシンボルの赤が使われており、赤い楕円形は太陽を彷彿とさせる。
1989年、グザヴィエ・ドゥ・ラ・シャペルがCEOに任命され、社名は「MVS」から「Venturi (ヴェンチュリー)」に変更された。同時に青、白、赤と白隼で構成される新しいデザインのエンブレム・ロゴが誕生した。
2000年、ヴェンチュリーは経営破綻し、モナコの実業家 ギルド・パッランカ・パストールに買収された。本社をモナコに移転した上で経営方針が大きく変更され、電気自動車事業に注力することとなる。同時に新しいV字型のエンブレム・ロゴが誕生した。また、カーレースでの輝かしい過去を忘れないようにとの意味合いで白隼のエンブレム・ロゴの使用は継続された。車両に装着される際は新しいV字型と白隼のエンブレム・ロゴは上下に並べて配置される。
2004年、ヴェンチュリーは世界初の電動スポーツカーとなる「Fétish」を発表した。
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シトロエン
CITROËN
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1919~
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1932~
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1932~
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1948~
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1953~
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1955~
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1958~
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2004~
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2004~
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2009~
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2010~
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【エンブレム・ロゴの由来】
シトロエンのエンブレム・ロゴの「ダブルシェブロン (ドゥブルシュヴロン = double chevron)」はV字型のミゾを持つやまば歯車(ダブルヘリカルギア)が噛み合う接触面に由来する。
このデザインが採用された起源は、創業者のアンドレ・ギュスターヴ・シトロエンが22歳の時の旅行でポーランドのウッチ市を訪れた1900年まで遡る。ウッチ市に住む義理の兄弟の取引先が営んでいるグウォブノの小さな機械製作会社を訪れ、木製のやまば歯車の加工技術に出会った。この製造技術の特許はロシア人が所有していたが、アンドレはこの技術を金属加工に応用する目的で購入。アンドレはこのやまば歯車の生産で基礎を築き、1919年に自動車会社モースを吸収合併してシトロエンを設立した。初期のシトロエン車のリアアクスルのファイナルドライブギアにはこのやまば歯車が使用されていた。
【エンブレム・ロゴの歴史】
シトロエンの長い歴史の中で様々なエンブレム・ロゴが生まれたが、ダブルシェブロンがそれらのデザインから消えることは無かった。
1919年、シトロエン設立と同時に誕生した初代エンブレム・ロゴのダブルシェブロンは青い背景と円の中に配置されていた。
1932年には2種類のデザインが登場しており、その一つが水面や波に浮かぶ白鳥が描かれたものである。これは新型車ロザリーに採用された新型のエンジンマウント構造(フローティングエンジン)をアピールする目的があった。白鳥の背景の山はダブルシェブロンである。シトロエンのエンブレム・ロゴにグラフィックと宣伝文句が描かれたのはこれが初めてである。もう一つの登場したデザインはラジエーターグリル上に取り付けられた大型のダブルシェブロンである。
1950年代に入ると現代のデザインに近い形のダブルシェブロンがボンネットやトランク上に装着されるようになる。
1958年に発表されたDSクーペ・ル・パリ (Le Paris) にはダブルシェブロンに加えて、アンリ・シャプロンと書かれたエンブレム・ロゴも装着されていた。これはフランスの自動車製造業者であるアンリ・シャプロンが手掛けた車両であることを示している。シトロエンにはDSにクーペやコンバーチブルを設定する計画は無く、代わりにアンリ・シャプロンがそれらのモデルの製造に関わった。
2004年からはデザインコンセプトが大きく見直され、フロント側にはグリルラインに沿ったダブルシェブロンが、リア側には以前よりもエッジが削られて太くなったダブルシェブロンが装着されている。2009年以降はダブルシェブロンのエッジが更に削られて、丸みを帯びた形に変わっている。
【会社とブランドの歴史】
シトロエンは先進的な技術を積極的に採用する自動車会社として知られている。例えば、1934年の「トラクシオン・アバン」に搭載された前輪駆動方式やモノコックボディ、新構造のサスペンション、1955年の「DS」に搭載されたハイドロニューマチック・サスペンションなど。
シトロエンはフランスのパリに本社を置く自動車メーカーである。1934年以降はミシュランの傘下、1976年以降はプジョー (PSAグループ)の傘下、2021年以降はステランティス N.V. の傘下にある。
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ディーエス
オートモビルズ
DS AUTOMOBILES
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2009~
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2015~
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【エンブレム・ロゴの由来】
DS AUTOMOBILESのエンブレム・ロゴはブランド名のDSを象ったもの。
【ブランドの歴史】
DS AUTOMOBILESはステランティス N.V. グループの高級車ブランドである。2009年にシトロエンの高級サブブランドとして発足し、2015年にシトロエンから独立して単独のブランドとなった。
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ブガッティ
BUGATTI
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1909~
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【エンブレム・ロゴの由来と歴史】
ブガッティのエンブレム・ロゴは赤いオーバルの中にブランド名のBUGATTIが象られ、その上部にあるEBの文字は創業者ETTORE BUGATTI (エットーレ・ブガッティ) のイニシャルに由来する。
周囲の60個のドットについては二つの説があり、一つ目は豪華さを象徴する真珠に由来し、宝石製品や装飾家具のプロデザイナーであったエットーレ・ブガッティの父カルロへの敬意を表しているという説、二つ目は設立初期の自動車製造でボルトなどのファスナー部品の脱落を防ぐために採用していた安全ワイヤーに由来するという説がある。
会社の長い歴史の中でエンブレム・ロゴを何度も変更してきた他の自動車メーカーとは異なり、ブガッティは創業の1909年に誕生したデザインを維持し続けている。
【会社とブランドの歴史】
創業者エットーレ・ブガッティはイタリアのミラノで生まれ、1909年にオートモービルズ・エットーレ・ブガッティをモルスアイムに設立した。アルザス地方にあるモルスアイムは、1871年から1919年までドイツ帝国の一部であったが現在はフランスのコミューンである。
悲劇なことに1939 年にエットーレの息子ジーンがブガッティ タイプ57のテスト走行中の事故で亡くなり、更に1947 年に創業者エットーレ・ブガッティが亡くなったため、事業の後継者は不在となった。それから数十年の間、何度かの復活の試みはあったものの実際に自動車が製造されることはなかった。
数十年後の1987 年にイタリアの実業家ロマノ・アルティオーリが買収し、ブガッティ・アウトモビリSpAを設立、その後、1998年にはVWグループに買収された。
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プジョー
PEUGEOT
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1905~
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1923~
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1933~
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1948~
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1955~
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1960~
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1975~
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1998~
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2012~
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2021~
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【エンブレム・ロゴの由来と歴史】
プジョーのエンブレム・ロゴにはライオンが採用されているが、その起源はプジョーが創業した1810年まで遡る。当時は自動車ではなく、のこぎり製品や傘のフレーム、コーヒーミルなどを製造していた。彫刻師ジャスティン・ブレザーにより制作されたものが基となり、1847年に初めてライオンのエンブレム・ロゴが誕生、1858年に商標登録された。その当時のデザインは、ライオンの歯のような鋸歯の強靭さ、ライオンの背骨のような刃の柔軟性、飛びかかるライオンのような鋼の強さと切断速度を表現していた。
初めてプジョー車のグリルに矢の上を歩くライオンが飾られたのは1905年。その後暫く間、ラジエターグリルの上には様々な形の立体的なライオンのマスコットが飾られた。現代でよく知られている二本足で立ちあがったライオンがエンブレム・ロゴに採用されたのは1948年からで、初めての立ち上がったライオンは紋章の中に描かれていた。このデザインはフランシュ=コンテ地域圏の紋章や旗が由来となっている。1960年には初めてライオンの横顔がエンブレム・ロゴの全面に描かれた。その後、1975年に再び二本足で立ちあがったライオンが輪郭を象られて復活、このライオンは「ライオン・フィル」の愛称で知られている。2021年には再びライオンの横顔が全面に描かれたデザインが復活した。
【会社とブランドの歴史】
1810年、ジャン=ピエール・プジョーの息子達、ジャン=ピエール II・プジョーとジャン=フレデリック・プジョーにより「プジョー・フレール」がエリモンクールのコミューン「スークレート」の地で設立され、当時は上記の通り製鉄所として様々な金属製品を製造していた。最初のプジョー製自動車が誕生したのは1889年、ジャン・ピエールの孫であるアルマン・プジョーが蒸気の専門家レオン・セルポレーと協業し、蒸気駆動の三輪自動車「Type1」が誕生した。翌年の1890年にはガソリン燃料で駆動するダイムラーエンジンを搭載したプジョー製自動車「Type 2」が誕生している。
1929年、プジョーは最初の量産車である201を発表した。現代でも踏襲されている3桁かつ中央の桁がゼロのナンバリングシステムを採用した最初のプジョー車である。なお、ポルシェが開発コード「901」を市販する際に「911」と改めたのはプジョーが既に「901」の商標を取得しており、申し立てがあったためである。
1974年にプジョーはシトロエンの株を38.2%取得し、1976年には89.95%を取得、PSA・プジョー・シトロエンが誕生した。プレミアムサブブランドのDSが発表されたのは2009年、2016年4月にはPSA・プジョー・シトロエンからグループPSAへ名称変更している。2021年1月にはフィアット・クライスラー・オートモービルズ (FCA) と経営統合し、ステランティスが誕生した。
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ルノー
RENAULT
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1923~
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1925~
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1946~
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1946~
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1950~
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1951~
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1956~
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1959~
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1965~
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1972~
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1992~
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2021~
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【エンブレム・ロゴの由来】
ルノーのエンブレム・ロゴは「ルノーダイヤモンド」と呼ばれており、ダイヤモンドの形にはいくつかの由来があるが、どれが正しい説かは未だに明確になっていない。車両前面の穴をふさぐ形としてひし形が最適だったという説、かつて製造していた戦車の形の名残という説、品質の高さやダイナミズムを表しているという説がある。
【エンブレム・ロゴの歴史】
ルノー初の企業ロゴが誕生したのは1900年のこと、創業者であるルノー兄弟のイニシャルとアールヌーボー様式を組み合わせたデザインが採用された。1906年には歯車と最初のフランスグランプリで優勝した車両のデザインに置き換えられ、第一次世界大戦が終わった後の1919年には当時のルノーが製造していた戦車FT-17のデザインに置き換えされている。これらのデザインはいずれもルノー車のエンブレム・ロゴに採用されることはなかった。
初めてルノー車にエンブレム・ロゴが装着されたのは1923年、丸型のグリル(盾形紋、エスカッシャン)のデザインが採用された。背面に置かれたホーンの音を外に逃がす役割も持っており、NNや40CVなどの車両に装着されている。
1925年には初代のダイヤモンド(菱形、ロザンジュ)型のエンブレム・ロゴが誕生。ここから暫くの間を置いた後、新型車投入に合わせて様々な新しいデザインが採用されていく。
1946年、4CVと共に2種類のデザインが誕生。赤色の中心には社名"Régie Nationaledes Usines Renault"の略語"RNUR"が刻印されている。
1950年、コロラールの誕生と共に赤い盾のデザインが採用され、
1951年、フリゲートの誕生と共に赤い盾の中にダイヤモンドとフランスの国土が描かれた。
1956年、ドーフィンの誕生と共に王冠の上に三匹のイルカが描かれた。珍しくダイヤモンドが描かれていないが、こちらはフランスのボルドー出身のテキスタイルデザイナー ポール・マロットによりデザインされたもの。
1959年、企業ロゴデザインが見直しに伴い自動車用のエンブレム・ロゴのデザインも変更され、1961年に発売されたルノー3 (トロワ) とルノー4 (カトル) に展開された。
1962年、ルノー8 (ユイット) と共にダイヤモンドをより細くしたデザインが誕生。その後、ルノー10 (ディズ) でも採用されている。
1972年には幾何学的抽象性を追求した美術作品を得意とするフランスの芸術家ヴィクトル・ヴァザルリにより、新たな企業ロゴデザインが誕生する。ダイヤモンドの中がくり抜かれたデザインは現代のエンブレム・ロゴデザインの原形となるものである。これまで車種毎に異なるデザインが採用されてきたが、このデザインに統合されていくことになる。ルノー5 (サンク) を皮切りに各新型車に展開されていった。
それから20年が経過した1992年、私たちが普段目にするルノーダイヤモンドが誕生する。ダイヤモンドを形成する細い平行線は廃止され、4つのフラットな面の組み合わせで表現されている。
そして2021年、新しいデザインが発表され、ダイヤモンドは再び平行線により形成されることになる。1972年に誕生したデザインを彷彿とさせるが、以前よりもより太く数少ない平行線で構成されている。ルノーの説明によると2024年までには全てのラインナップがこのデザインに置き換えされるとのこと。
【会社とブランドの歴史】
ルノーの歴史は、ルイ・ルノーが自作した三輪自動車でモンマルトルの坂道を登ってみせた1898年から始まっている。翌年、マルセル・ルノー、フェルナン・ルノーの2人の兄と共に「ルノー・フレール社」を設立。そのまた翌年にルノー初の企業ロゴが上述の通り誕生している。
1903年にルノーは独自のエンジン製造を開始し、ロンドンとパリのタクシーを大量受注。第一次世界大戦における兵隊輸送にも持ちられ「タクシー・デ・ラ・マルヌ (=マルヌのタクシー) 」の愛称で親しまれた。その後は自動車だけでなくフランス軍の戦車、航空機エンジン、航空機などを製造。1940年、第二次世界大戦中にフランスを占領したナチス・ドイツによってルノーは接収された。ルノーはナチス・ドイツ向けの戦車製造を拒否、代わりにトラックの製造を続けていた。1942年の連合国による空襲で製造ラインは焼き払われ、創業者のルイ・ルノーは失語症を発症する。1944年にフランスが開放されるとルイはドイツとの産業利敵協力の罪で逮捕され、フレンヌ刑務所で虐待を受けて死亡するという悲しい結末を迎えている。
その3ヵ月後の1945年1月1日、ルノーはド・ゴール将軍の行政命令によって国有化され、戦争中に秘密裏に開発を進めていた4CVが大ヒットしたことによりルノー再建を後押しすることとなった。
1990年、海外からの株式購入を制限する法律により、ルノーは国営企業から公開有限会社に変わり、1996年には完全に民営化された。
1999年、ルノーは世界での競争力をつけるため、日産自動車との提携を決定、アライアンスを締結。ルノーと日産はそれぞれのアイデンティティを保ちながら、互いにサポートするパートナーとして共に歩み始めた。2016年には三菱自動車がこのアライアンスに加わっている。
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